理想の母親像・・・ありますよね。。
どんな母親をそう呼ぶかも
知っています!
でも実は・・この
知っている!という事が一番厄介な気持ちなのですよね。
知らなかったら むしろその方が幸せで
知っているからこそ! そう出来ない自分を責めるのですよね
もし ああしていたら、、、、の
悔いが自分を苦しめる。。。
でも、、、、、、、
子育てが数日のものならば
どんな理想の母親 にだってなれると思います。
でも、、、、、、、、
何年も何十年にも渡るものなのですよねぇ~
子育て!
激情の私が・・・・・・そんな 自分を抑えた生活などできる筈もなく
だから実際はそんな無理なんてせずに
自分の 感情の赴くまま・・・・・
夫に対しても子供達に対しても
恥ずかしながら
激情からの罵詈雑言 も垂れ流しながら生活してきました。。
無理して自分を変える事なく
自分のままで暮らしてきました
悲しいかな私
・・・・・・そうしか、、、、できない~
そして、、、、、、、、、
自分にやさしい私 は・・
言い訳(自分の心への言い訳です) を用意していました。
これはこの子達の 運命 なんだよね・・・・です。
この家に生まれて 私が母親だった・・・・これがこの子達の
運命
またゆっくり詳しく書きますが、、、、、、
私の母親は・・・・・・・・・・・・・・
何でもできる人でしたし 何でも作ってくれる人でしたが
だからこそ精神的な部分では
理想の母親ではなかったです。
つまり、、、
教育ママの走り(?)(当時はめずらしかった)だったという事です。
夫の母親は・・・・・・・・・・・・・・
もう少し書きましたから人物像はご存知でしょうが
自分が一番大切な人だから 子育ては、、、、、、やってらっしゃらない~
それなのに、、、
私達夫婦 結構良い子に育った~(自画自賛!)と思うのですよ
楽をしたい私はそこに着眼して、、
どんな環境でも
だからこその人間ができる事が人生の面白さ なのかも知れない、、と
環境は勿論大切だけど
子供は決して平等なスタートラインに立っているわけではないですよね。
どんな家庭に生まれるかで、、既に違う。。。
だから、、私が母親であったという事実はもうもう申し訳なかった事だけど
夜・・寝顔にごめんなさいを言う事もありました~
運命 として諦めてもらう事にしょう~と、、、無理ができない私は考えたのですよ