ここにときどき遊びに来てくださるmimizuさんが
被災地への5日間のボランティアに行かれるそうです。
それについて、、、、
僕は、切り捨てたくないから被災地へ、、、と思っているのか、
切り捨ててしまいたいから、
自分の義務みたいなものをさっさと果たしてしまおうと思っているのか。
後者の方が大きいように思います。
自分のための免罪符を手に入れようとしてる、
ただ、、こう書きながらも一方で
わずかなりとも被災地と直接的に関わってしまうことで、
対岸の火事的な気分でいられなくなることも怖いと感じている理由かもしれません。
だって、僕の知らないところで、僕の知らない人がどれだけ死のうと、
僕はちょっと悲しい気になるだけですみます
とも書いていらっしゃいます。。
この人は不思議な論理を展開する人で、、、、
これまでも過激で思いっ切った極端な考え方を
敢えて述べられたりもしました。
でも、、それはmimizuさんの意見のすべてでもなんでもなく
本心はまた別のトコロにあったりするから
真意がどこにあるのか、、よく解りません。
さて関わる難しさが・・まさにこれなのだと思います。
私はmimizuさんは前者の気分・・・
わずかなりとも被災地と直接的に関わってしまうことで、
対岸の火事的な気分でいられなくなる
・・・・・・・・・で帰って来られるように思われてなりません。
学生時代・・・・
仲間の1人が養護施設でボランティアをしていました。
誘われて1回行きました。
子供達が無邪気にすぐ懐いてくれる事に驚きました。
抱きついたり 背中からもたれたり
何人もの子供達が私から離れる事がありませんでした。
密着した身体からの体温を感じたりしながら、、切ない気持ちになって
友人は毎週1回訪問して 一緒に遊ぶ活動をしていましたが、、、、
私にはできない!と思いました。
養護施設からの帰途 ボランティアの学生達と食事に入ったお店で
私は砂を噛むように感じて 何も食べる事ができませんでした。
その時私は・・大学1年生でした。
学生生活を楽しく送りたい!と思っていました。
あの子達と接しながら あの施設が頭の中にありながら、、
そんな状態で
心から笑う事はできないと思いました。
楽しい学生生活は送れない!と思いました。
・・・・・・・・自分の気持ち?イエ楽しい学生生活を守るために そこへは2度と行きませんでした。
ただあの日の事は 電灯が少し暗かった事も含めて今でも覚えています。
子供達がまだ幼い頃、、、幼稚園だったと思います。
『一杯のかけそば』 の話が巷では頻々と流れていました。
娘と息子に 読み聞かせをしました。
上の娘は・・涙を流しながら歯を喰いしばって耐えていました。
下の息子の方は・・もうもう大声で泣いて泣いて、、
あの子の初めての号泣でした。。。
・・・・息子はその日の夕食は食べる事ができませんでした。
それくらい苦しかったようでした。
私は・・反省しました。。。。
どうなのだろう、、と思いました。
どうなのだろう、、、
(あの作者は詐欺師さんだったみたいですね~)