今日は・・・・・・・・・・
伯母の話をします。。
書き始めると長くなってしまいますから簡単に説明しますと
伯父夫婦には子供がいませんでしたから
私は生れた時から それこそ
並ではない可愛がり方をされてきました。
伯父夫婦の元で育った時期もあるくらいです。
伯母は伯父の奥さんです。
だから私とは血の繋がりはありませんが、、、、、
私にとっては母以上の存在で
一番大切な人でした。
伯父は、、少し豊かな暮らしをしていましたが、、、
伯母は・・・・・・・・・
贅沢ができない人で、、お金があっても自分の事に使えない人でした。。
―― 私は教養も何もない田舎者だから、、、――が口癖でした。。
家には若い衆が10人以上いた腕の良い大工の棟梁の娘でしたから
決して貧しくはなかったのですが
伯父にふさわしい嫁ではない、、と・・そんな風に考えていたようでした。
そこまで遜(へりくだ)れるのか?・・周りの人にペコペコしていました。
不思議な感覚で見ていました、、 ただただ私はそれが悲しかったです。
伯母は・・・とても優しい人でお人好しで
優しい人だから、、、、、、
周りに気を使わせたくなくて謙虚でもあったのですが
度が過ぎていました。。
だから近所の人達には
大人気でした。
(1日中誰かが茶の間にいました。多い時は6人少ない時でも2人)
・・・・・・・・・・・・ここにはプライバシーはない!
(行く度に痛感していました。誰かが夕方6時まではいる)
夕食前・・・・
例えばその日の献立が天麩羅ならば
伯母は大量にどんどん揚げて行きます。
その分を茶の間のみんながどんどん食べて、、、、
「家でご飯が入らない~、、」と言いながらみんな帰って行く、、とか・・・
そんな信じられない毎日でした
でも一方で!
伯母の事を何も知らない場所へ行くと・・・・・
例えばデパートで、、とか
一番顕著なのは 旅行して宿泊した旅館で、、とか
店員さんや仲居さんが・・・・・
スーッと伯母を、、、侮る。。 を傍にいて感じてきました。。。
服装ではないのですよね。多分雰囲気で感じ取るのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・
結構いろんな所で!、、、です。。
伯父が一緒の時は
(伯父は紳士然としていました)
これがまた!手の平を返したように
全然態度が違っていました。ピシリと礼を尽くしてくれました。
接せられる態度の
あまりの違いに
『ああ・・・世間はこんな判断をするんだなぁ~』・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これを
小学校の低学年で感じていました。。
伯母と一緒のときは・・・・・・・
私は
身構えて!相手の反応をジッと見る子供でした。
相手の態度に・・全身が熱くなるのを感じました。
それは怒りだけでなく恥ずかしさもあったと思います
(まだ子供でしたから)
私の母は・・・・・・・・・・
若かった事もあって
(私は23歳の時の子です)
オシャレで・・授業参観にも
室内用の小さな帽子を被ってくるような人でした。
(自分で外国の雑誌を見てスーツも作っていました。スーツと共布で小さい帽子も作る人でした)
今でもそんなお母さんってめずらしいでしょうが
当時なんて
ホ~ントめずらしくて、、、
それはそれで私は全身が熱くなるくらい恥ずかしかったです。
私の傍には
何故?極端な人間と極端な人間しか居ないのだろうと漠然と思っていました。
伯母は・・
プライドの高い私の母とは・・全くの別人格でした。。
厄介な事にその伯母が・・・・・
私にとっては 母以上に母だったのです。。
・・・・・・・・・・血の繋がりはなくても、、母より大切だった伯母は・・
私の一部でした。。
伯母の受ける世間の目は・・私は伯母の傍で
我が事として!痛い程に感じていました。
私がず~~っと
心に背負ってきた人です。
伯母は裕福な暮らしをしていたにも関わらず
いつまで経っても世間的な所属では(とても妙な表現になってしまいますが)
そうではない、、そんな人でした。
私はお嬢さん学校に在籍した経験がありますが
(あの金持ち友人とはここで出会いました)
それこそ驚くほどに裕福な人達がいました。
私は・・・気持ちの半分が裕福にどうしても馴染めなかった・・・・
裕福さの中にいても、、、
心から楽しめない・・
罪悪感?に近いもの。。
自分の居るべき場所ではない感覚・・・
居心地が良かったり、、胸が締め付けられる感覚を味合ったり・・でした。。
誰かと結婚する!・・・・・・
その意味は・・
背負った伯母も一緒に背負ってもらう事だ!と思っていました。
伯母を背中から降ろして行く事はできない!と思っていました。
その事は・・・・・・・私には鬱陶しい乗り越えなければならない
山でした。
伯母はいろんな場面で・・・可哀相な位緊張します。オロオロします。
伯母が私の夫の前で極度に緊張して、、なんて、、考えただけで眩暈がしました。
自分の中にある
悲しいかな《伯母を恥ずかしいと思う気持ち》とも戦わなければなりませんでした。
伯母にやさしくしてくれる人!
伯母が自然のままの自分が出せる人!
(伯母の一番の伯母らしい、、おおらかなやさしさ)
伯母が私の家庭に遊びに来れないようなそんな結婚をしても
私は決して幸せにはなれない!それだけは確信していました。
やさしい男はいたとしても、、それだけでは・・
物足らないし!
だから、、
自分の好みは人一倍難しいわ、、伯母は背負っているわ、、
多分結婚はしないだろう~は・・・ホントに覚悟していたのですよ。
そこに のこのこ夫? まさに・・・・・・・・・・・・・・・
ビンゴでした。
伯母は晩年は我が家で過ごしました♪