仕事上でとか今後の事でとかちょっと悩んでいらっしゃる方に
大変僭越ながら
《ああ、、こんな考え方もあるんだな》 の1つになればなぁと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・またいつもの
勝手にシンドバッド
先日(ちょっと時間が経ちましたが)・・・コメント欄でのやり取りで
人生万事塞翁が馬 ・・・・・・について少し書かせていただきました。
その時 これが私の
座右の銘だと言いました。
私がこの言葉を好きな一番の理由は・・・
この考えによって、、、
不本意な出来事・状況 辛い結果等を嘆かずに済むからです。
たとえ表面的には失敗の結果に終わったり面白くない状況だとしても
それがまた
別のどんな思い掛けない幸運に繋がって行くかわからない~という希望!
私のような
楽観主義者にはピッタリの言葉でした
たとえ受験で 第一志望が不合格でも
不本意な気持ちで行った学校に思い掛けない幸運が待っているかも知れない。
ウキウキ
《あなたはこちらの道の方が幸せになれますよ~》・・の神の声だと思いたい!
私はこの大好きな言葉を折々に意識しながら生きてきました。
前回の伯母との関係をもう少し詳しく説明しますと
・・・・父の長兄夫婦にも次兄夫婦にも子供がいなかったもので
私が一族の初めての子供でした。
本家と私の母との間で私を巡っての攻防線がありました
(父は本家大好き人間だから私を献上?)
その結果本家にも私の部屋があり机がありベッドがあるという2重生活をしていました。
同じ都市や近くの都市に住んでいる時は土曜の午後から日曜日の夜までが本家でした。
父の転勤で遠~くの町になった時は夏休み・冬休み・春休みが本家でした。
母が12歳下の弟を出産の時は母の体調がよくなかった事もあって
母と妹が母の実家私が本家・・と
私と妹が転校までしての4ヶ月の長期里帰り出産もありました。
弟が産まれた事によっての
「きまんばをこのまま残して欲しい」 「いやダメです」、、こんなやり取り。
幼い頃から
『幸せな選択』 を迫られながらの生活でしたから
人生の岐路への意識が早くから身についたせいかも知れません。
私の母の強い抵抗があったから
養子縁組こそしませんでしたが
二重生活を送りながら、、、
人生なんてほんのちょっとのキッカケでどうにでも動いて行くものなんだなぁ
・・・・・・そんな事を漠然と考えていました。
だからなのでしょうか?・・・・・・・・
私は普通の人より 転職始め、、
(え~と、、時代を考えると当時は大変めずらしい事でした)
いろいろな事につい
挑戦(こんな強い気持ちではないのですが)してしまう、、
自分の駒がどこに転がって行くのかを見たい!
/////////////////////////////////////////////// そんな気持ちの方が強かったのだと思います。
転職始め、、様々な新しい事に挑戦する時・・・・・・・
最初の教師からヤマハへの
幸運な転職以外は
結構
苦しい立場に追い込まれてからの道だったように思うのですよね。
何もかもが順調な時に新しい何かに挑戦? ・・・・・・
これは難しいです!
余程の
克己心のある人でないとそれはなかなか難しい事だと思います。
だって何もしなくても毎日が気持ち良く回って行っているのに
わざわざ大変な何かを始める、、生活を変化させる、、、・・・・・・
これはなかなか出来るものではありません。
だから、、、、、何か
環境が動く時は・・・
それは
潮時なのだと!思うのですよ。
神様がその人にとってのちょうどのタイミングに
(もっと早くても期が熟していなかったり もっと遅くても新しい何かを始める気力体力で無理だったり)
だから、、とても
良いタイミングに!
神様が仕掛けてくれる
キッカケなのだと♪・・・・・・・・・そう思うようにしています。
切羽詰った動機がなければ、、、
なかなか人間は頑張れないのではないかしら~?と思っています。
新しい何か!を始めるって事は・・・・・・
やはり苦しい場面もたくさんあるだろうし
逃げ出す事が可能な状況では逃げ出してしまうと思うのですよね。。
だから
困難な状況が・・私をむしろ幸運の方に連れて行ってくれたように思うのですよ。
ある覚悟でやる!・・・その気迫が、、
運命の扉を開けて行ってくれたように思います。。