今日は、、弟の話をさせてください。
前回の思い掛けないいきさつで
あんな形で晒してしまった弟の事です・・・・・
悲惨な一生のようには思って欲しくはないのに
中途半端な形でみなさんに伝えざるを得なかった それが残念で
私以上に誇り高く生きていた人間です
(この誇り・・厄介な事柄に直面したりもしますがこういう風に育ててくれた両親には感謝しています)
弟の名誉のためにも 彼の潔い毅然とした生き方を知ってもらいたくて ・・・少しおつきあいください。
いつも自慢しいの私ですが、、、、、、、
今日は、、ブレーキかける事なく
自慢全開です~(いつももそんなでしょうけどね)
弟と私は、、干支が一緒 ・・12歳違います。。
遅くに生まれた弟は・・両親だけでなく 周りみんなから可愛がられて育ったお蔭で、、、、
(旅行好きの母は友達8人グループでよく旅行していました。
子育て終了のグループに小2までいつも同行していた弟はみんなのマスコットでした)
結果
欲の無い、、太っ腹な、、不思議な人物 に育ちました。。
兄弟で・・・例えば あのしっかり者の妹と2人で何かを決定する時など、、
基本 私達姉妹は仲良しなんですが
何しろあのしっかり者ゆえに
「うへぇ~・・・・・」 と思う事もあったのですが。。
でも、、そんな時弟が入ると、、
あなたと私・・・・から
3人から社会になる!・・をしみじみ実感できました。。
そしてそれは単に
第三者の存在 というだけでなく
弟の持つ公正な目
良識の存在が頼もしかったです
ちょっとあまり良い例ではないのでしょうが これが一番良く判る例として
一番どの家庭も揉めると聞いていた・・
遺産相続・・も、、、
何の迷いも無く、、弟が・・
「3等分!」 と言って、、
1分で決まりました
・・・・・・これは金額が大した事なかったから出来た事でしょうが
それでも当時独身の弟は 跡継ぎと言うだけでなく父と半同居もしていました。
弟は会社の独身寮に住みながら土・日は実家で過ごすという暮らしでした。
父も母に先立たれて一人暮らしでしたから
平日はリゾートホテルに併設されたホームに部屋は確保して
(ゴルフ場もテニス場もあってホテルの大浴場やレストランも使える不思議なトコロでした。)
これは千葉にありました。実家から車で20分でしたから
父はそこと家を行ったり来たりしていました。
私は伯父夫婦との関係もあり、、実家の財産は放棄するつもりでした。
だから 3等分は公平のようであって不公平なものだったのですよ~笑
私に良くて 弟が一番損する形。。。
私・・・当然辞退しました。
でも
あのしっかり者チャッカリ者の妹も
「全然貰わないはおかしいよ」・・と言い出す始末で
互いが譲り合うという不思議な相続は・・弟の第一声から始まった事でした。
それで、、私もチャッカリと 計算しやすいように
端数を!いただきましたよ~
その上弟は・・・家長としての責任として
自分の取り分から、、
かなりのまとまった金額を妹に預けて、、、、
(その都度ではなくて金銭感覚がマヒしている時に別にして置くは良いみたいですよ~)
「僕は・・独身だから、、法事関係がうまくできないから頼む。。
遠くから来るkimanbaの家族が、、、、、法事を楽しみで来れるように、、
ホテルや旅館で・・・みんなが楽しめる法事にする計画 を立てて欲しい・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と言いました
うちの家族4人と妹宅5人・・・それに弟の計10人が、、、
49日、、初盆、、1周忌、、3回忌・・・・
子供達が喜ぶ・・
リゾートホテルや
別荘感覚のコテージとか、、
私達大人が喜ぶ・・
温泉旅館とか、、そうそう弟の
会社の保養所とかの時もありました、、
・・・・・・・・・・・・・いつも必ず
2泊はしていました。。
ルンルン気分で、、みんなで集まっていました
以上の事から、、、
弟が預けた金額がいかに大きな金額だったかの想像はつくと思います。。
//////////////////////////////////// これは、、とても良いアイディアでした。。
お寺での法要後・・・・・・・・・・・・・
弟と妹の車・・・2台に分乗してホテルまで行くのですが、、、
途中のレストランでの食事も全部 その
弟のプール金での支払いで、、
・・・・・・・
弟は
グルメだからいろんな美味しい店に連れて行ってくれました。。
美味しいものをタップリ食べさせてもらいました。。
子供が多かったので ホテルでの飲食用にスーパーで飲み物とかお菓子とかを買って行くのですが、、、
しっかり者の妹が・・・
チャッカリ そのお金で自分の家庭用に・・安売りになっている砂糖とか醤油を
大量に購入している姿が、、、
あっぱれ! でしたよ~
彼女は・・
筋金入りで堂々として、、だからかえって気持ち良い人間です。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
弟は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
元気一杯! アウトドアの人間でキャンプが好きで
会社のサークルで日本アルプスの登山をしたり テニスをしたり活動的でした!
乗馬の写真もあったから 「へぇ~」と思った位!
好奇心を持って何でもやってみる!アウトドア派でした。。
アチコチを仲間と旅して 独身生活を満喫していました。。
そんな弟が・・・突然!
『脊髄空洞症』 になりました。
36才でした。。
何の症状も無く
「ビールを飲むと、、むせる事があるんだよね・・」 で病院に行って診断されました。
2回
開頭手術をしました。。 ダメでした。。
・・・・・
だんだん身体の機能が衰えていく事を止める事は現在の医学では不可能 と宣告されました。。・・・・
動けなくなるという事でした。。
「自分で死ぬ自由もなくなるという事だね」・・・と弟がポツリと言いました。。
弟・・・
37才。。
私は一番仕事が忙しい頃でした。 妹も受験生を抱えて大変な時期でした。
弟はもう一人暮らしが困難になりつつありました。
足が動きにくくなっていました。。車の運転も難しくなり 出勤はタクシーを使っていました。。
それでも
無遅刻無欠勤だったので・・・・・
連絡がとれないからと、、会社の人が自宅に行ってくれたから 翌朝すぐ発見されました。。
テーブルの上に大量の飲み物が置かれていました。。
もう
嚥下障害が出ていたから、、、、、、
一度に飲み物を飲めば!事故が起こる事は承知していた筈です。。
警察では・・・・
事故扱い・・・・でした。。
でも、、私と妹にはすぐに解りました。。弟の覚悟をいろんな所で目にしたからです。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
弟は・・会社の独身寮と両親が残した家とで生活していました。。
平日なのに自宅にいました。
当時私はなるべく上京するようにしていました。私の仕事の事を気に掛けていた弟と・・・
11月の初めに
「連休なら、、上京できる。」 と話したばかりでした。。
その事故の発見は・・・11月の連休の前日の出来事でした。。
キレイ好きの弟は・・シンプルに何でもスッキリ整理して暮らしていましたが、、、
それにしても!
リビングのサイドボードの引き出しの一番上に・・・・・・・
金庫の鍵と暗証番号が書かれた紙が一緒に置かれていました。。
例年・・植木は12月に手入れしてもらうのに、11月なのにキレイに剪定されていました。。
リビングルームのお気に入りの椅子に座ったまま・・眠るような姿だったのが幸いでした。。
サンルームのカーテンが・・・弟が座った椅子が見える幅だけ開いていました。。
(庭からすぐ見えるようになっていました)
弟の覚悟が・・・
私や妹に迷惑を掛けたくない!
でも自殺として残された私達の心に錘(なまり)を残したくないの弟の覚悟が!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私には痛いほど解りました。。
弟がどんな気持ちで準備したか!を考えるだけで 今でも息苦しくなります。。。
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからが、、弟の弟らしさを 一番良く表現している事だと思いますが。。
私と妹は レシート1つ残っていないスッキリした暮し方の弟の机の引き出しから見つけたものが・・
2つ
■父の遺言書・・・
父は 「○○(弟の名)に一任する」 と書き残していました。。
私達姉妹は・・言葉も出ませんでした。。
弟に譲る!とは書かずに、、一任する!と書いた父と、、、
その遺言書を最後まで見せずに、、3等分!と言った弟。。。
................良い父と、、良い弟・・・だとしみじみ思いました
■ソニーからの不採用通知書
就職試験の結果、、それも不採用通知書。。。
10年以上経っても、、大事に保管していた弟・・・・・
妹が、、ボソリと、、、、
「行きたかったのだねぇ・・・」と言いました。。
こんな弟が・・私はとても自慢なのです。。。。