コメントでいただいた言葉
>自分に対して色をつけられたくないから、
人に対しても色をつけない!っていうのが私の心の中の決めごとでした。
過去記事で・・・伯母の事は話しましたが
これを一番感じた事これを最初に実感したのは伯母の周囲の人達によってでした。
(実感と言うにふさわしい==解ってもらえないもどかしさを感じて悲しくなった思い出です)
世の中が、、
自分と同じように考えている人達ばかりではないだけでなく
両親や伯父達ともまた違うのだと悲しく実感しました。
父が何処に転勤になっていても、、、、
夏休みや冬休み春休み・・・私は本家で生活していました。。
福岡の父の実家・・・そこは近所の人達がみんな集まってくる家でした。
朝起きて、、茶の間に行くと・・・・
もう、、
3~6人の近所の人達が 漬物やお菓子を食べながら・・・お茶を飲んでいる家でした
そして皆で・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ほう~、、やっと、、起きんなさった~♪ kimanbaちゃんは・・寝ぼすけねぇ」
私は、、、パジャマ姿・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
『信じられない___この家に、、プライバシーは・・・ない!?』
ここで私はよくみんなの話の肴になりました。。
血は汚いから どんなにおばちゃんに可愛がられても恩は忘れる
要約すると そんな事をいつもいつも言われていました。
悪い人達ではないのですよ。お人好しの人達が多くて伯母が大好きで
だから、、、
彼女達は彼女達の方法で伯母を守ろうとしていたのだろうなと今では思えます。
私に
伯母の恩を忘れてはいけないよ!・・と
彼女達なりにプレッシャーを与えていたのかな
(これは逆効果なのにね)
結果
世間での
人間の見方の一面性をイヤと言う程教えてもらいました。
血が繋がっていないのだから、、絶対伯母と私の関係は続かない!
そんな関係が存在する事は彼女達には信じられない事のようでした。
何でも買ってもらって可愛がってもらうから懐(なつ)き いざ伯母が助けが必要な時は見捨てる、、
もうステレオタイプで判断されて
眩暈がしそうな朝のワイドショーばりの話で綴られる私と伯母の将来。。
でもどんなに否定しても
「そうは言っても大人になったら変わるよ」・・で片付けられ
当時の私
(小・中・高・大 ずっと!)言われ続け
そうした周囲の人達の
発想の貧困さに息苦しくなりながら
でも 将来私がどうするかなんて
何十年も先の事だから相手に結果をすぐ見せられないもどかしさもあって、、やるせなかったです。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう思っていたそんな子供時代でした。
"""""""""""""""""""""""""""""""""""" 伯母の暮らし
夕方になると、、、
自分の家の夕食を作り終えて また集まって来た人達と話しながら
伯母がドンドン天ぷらを揚げて それを
ドンドンみんながお味見をする!・・・・・という恐るべき日々でした
「夕食の一品にしなさい」・・・と持たせたりもしてました。。
だからその影響でか・・どうしても私は天ぷらやフライ・煮物を大量に作ってしまいます~
―― 私は教養も何もない田舎者 ――が口癖だった伯母です
だからこそ・・・愛情の表現がストレートで
みんなに美味しいものを食べて欲しい!
私は伯母の
こんな単純さ が好きでした。
☆私・・・伯母に限らず人間の単純さは・・
ゴチャゴチャせずに好きです~
こんな伯母だから・・・・・・・・・・・・・近所の誰からも愛されていた、、と思います
伯母も近所の人達に甘えて
玄関の外灯の電球1つにしてもいつもお隣りの小父さんが取り替えてくれていました。
そのお礼に伯母は・・・
お酒が飲める人には缶ビール 飲めない人には缶ジュースを飲んでもらうのですが
伯母らしさが出ている点が、、、
暑い日は・・ギンギンに冷えたジュースを飲んでもらおうと冷凍庫で冷やすのが伯母で
それは良いのですがね、、、、、、、、、、、、、、、、、、
いつも頃合いが判っていなくていつも
カチカチのジュースにする!
100%そうしてしまう不思議な人で それが最高のもてなしだと思っている節があって
それをそのまま出す。。カチカチのまま。ジュースを傾けても決して出てこない。。
お隣の小父さんが・・・
「おばちゃん、、ジュースば飲まんね じゃなくて ジュースば食べんね になっとるよ」
缶切りで開けて、、みんなジャリジャリ食べる。。
みんな伯母らしいと知っていて、、そうやって回って行く日々が伯母の日々でした~
そして
伯母を考えると思い出さずにはいられないのが・・このエピソードです。。。
近所に貸している家がありました。。年配の母娘の2人暮らしで長く借りてくださっていました。。
家賃は振込みではなくて昔ながらのやり方で家まで持って来てくれます。。
ある日・・・その頃は月に1回ずつ帰省していた私が家賃を受け取りました。。
私・・・・・
「あの家・・50000円で貸してなかった? 25000円しか貰ってないよ」
伯母・・・・
「うん。。 おばあちゃんの死んなさったけんねぇ~。。1人にならしたけん。。」
私は大笑いしながら
「・・・・・・・・・・・・・伯母ちゃん、、、、旅館じゃないんだから。。」
こんなどこかちょっと抜けたような伯母が私は大好きで、、これは私かなり好きなエピソードです
(でもずっと経ってから 伯母は世間知らずだっただけではなくて
おばあちゃんが亡くなってその分の年金収入が減った事への心遣いがあった事を言っていました)
.......................
こんな伯母なのですものね。
背負うしかないではありませんか。。背負わずにはいられなかったです