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気ままな日々

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中途半端ですが、、、 (加筆あり)



まだまだ元気でしたが 
伯母が84歳になった時に今後の事を真剣に考え始めました。


伯母は・・・以前にも書きましたように 
日々 近所の人達や親戚との密な関係の中で生きていました。 
それが伯母の生き甲斐だったのですからこの街に連れて来る事は羽をもぐようなものでした。
性格的な面からも地元から離す事は残酷な事だと思っていました。
だから
伯母の事を第一に考えるならば 
私が仕事を捨てて福岡で同居するしか方法はありませんでした。


もう一人暮らしをさせて置くのは年齢的にどうかな、、と思いつつも
他の人の生活も掛かっている仕事の存在があまりに大きく 
その決意は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なかなかできるものではありませんでした。


    「伯母ちゃん、、いつまでも元気でいて!」と願うばかりでした。




ただ


私の中では弟の件がいつも大きく心を占めてもいました。
「もう少し様子を見て、、、」が 間に合わない事がある。
あの時も........仕事がブレーキだった。。。。。。。

人生には取り返しのつかない後悔がある。。
あんな思いは二度としたくない。。
正直、、、、、、
伯母の為と言うより自分の心の為に早く決断しなければと

                           .............そんな諸々 逡巡の日々でした。





そんな時に塾にいろいろな問題が発生した事は

神様がそうしなさいと言っているのだと思いました。


誰の目から見ても[有り得ない]と言われた前の塾の閉鎖は 私にとってはとても自然な流れでした。





1年間の塾を閉めるための準備は・・・・
私の福岡への移住計画の準備期間でもありました。



(中・高と新1年生の入塾をストップした事で時間もできましたから)

これまでは年に4回4日位の帰省だった分を
毎月1回一週間の滞在で 「この街で暮らせるかなぁ」 の実験を始めました。




1年続けて、、、、、、、、、、、、、

これは思いがけずなかなか決心ができるものではありませんでした。


塾を完全閉鎖してからも、、移住にはどうしても抵抗があって
それで、、、、
仕事は完全になくなりましたから時間の余裕はできましたから
月に10日~2週間の滞在という 
この街と福岡との半分半分の暮らしをしながらグズグズしていました。

仕事のある夫との別居をする事でもありましたし伯母はまだまだ元気ではありましたから。。。





そんなある日の福岡で・・・・・・・・・


塾を閉めてちょうど1年 月に1回の福岡暮らしが3年目に入ろうとしていた頃でした。

毎回連れて行っていたわんの朝の散歩から帰って来た時
玄関を開けた途端に 「あ~~kimaさん 待っとった~」
奇妙な形に腕を曲げた伯母を見たのがーーーすべての始まりでした。

すべてはそこから始まりました。


骨折した伯母の入院生活・・・

入院ならばどこの街も一緒だからとこの街に連れて来ました。
退院後のリハビリを我が家から通って完治したらまた福岡に帰るつもりでした。





           この間の事はやはりまだ書く事ができません。

           

           



とにかく言える事は

それからは、、あれよあれよという間の6ヶ月でした。
運命がどんどんどんどん進んでいきました。
いくつかの偶然と、いくつかの必然とが揃わないとできない事がいとも簡単に、、、

そして――私には苦い思いだけが残りました。






押し寄せるさまざまな出来事を TVと同じだとボンヤリ考えていました。

           不埒にも 寝たきりだったら楽だろうなぁと思った事
           腕ではなくて足の骨折だったら良かったのにと思った事もあります。
           



介護で一番恐ろしい事は・・・期限が判らない という事ではないでしょうか。
何年と言われたら頑張れるって事あると思います。
いつまで続くのか、、果てしなく続くと思われました。。出口の見えない日々でした。

そんな壮絶な日々がある日突然でした。



早過ぎた結果になった葬儀で伯母の身内から言われました・・・・・

「○○(伯母の名前)はkimanbaさんをとても大事にしていましたから、、、
 kimanbaさんに苦労を掛けたくなかったのでしょう。。
 kimanbaさんも孝行してくれました。。 ○○もあなたに孝行しました。。  

 ・・・・・・・とても良い結果になりました・・・」


                       




ホントにそうだと思いました。

私の幸せを一番に考えていた伯母が・・私にとって一番良い形を作って逝ったとしか思えませんでした。。
  

  介護をせずに伯母が逝ったら、、私は後悔で苦しんだでしょう。
  介護はさせるけど長くはさせない・・・伯母の意志を感じました。。



でもその上で、、、、、、、、、私は

家庭で介護はしない方がよい と書くつもりです。  

内容にもよるでしょうが 痴呆が出た場合は特にいろいろな問題を孕んでいます。
介護したからこそ・・・きれい事ではないを実感したからです。。
とても難しい問題を一杯抱えたとても怖ろしいとても悲しい現実です。。。


介護の一番残酷な事は・・・

出会いたくない自分に出会ってしまうという事でした。。。

自分だけではなく、、、出会いたくない伯母にも、、、
見なくて済んだモノも見せてしまうという「不幸」を持ってくるところにある と思います。。

自分の苦しみの為だけでなく相手の尊厳の為にも

しかるべき施設なり病院なりにお願いする方が良い、、、、、と私は思っています。




                ※昨日から驚く程の訪問者です。
                  以前 yokoさんにピックアッピブロガーで紹介していただいた時のようで
                  よければ鍵ででも教えていただけませんか?










この回でこの件は終わりにしたいと思いますから
少し長くなりますので初めてmore機能を使ってみたいと思います。





あの先日の友人に言って彼女が心当たりがあると言った事が の事でした。


同じ箇所を再骨折した事での伯母の2度目の入院生活・・・

最初は付添婦さんを夜間だけお願いしていました。
でも交代のため朝病院に行くと、
大声を出す伯母と対面することになって行きました。伯母ではなくなっていました。
毎日、日ごとに変わっていく伯母に、その原因を・・・考えに考えて

   薬・くすり・クスリ・  薬ではないのだろうか?

眠らせるための睡眠薬、精神安定剤
なんだかそれらを服用するようになって呆け症状が出て来たように思えてなりませんでした。
人間こんなに短期間に呆けるか? という気持ちでした。


薬かどうか原因を突き止めるために実験しました。
夜間騒いだら、看護婦さんが薬を使うのは当然で付添婦さんもそうします。
『薬を飲まさない。』でどうなるかを観察するために私が24時間付添って、薬を遮断してみました。。

ここからは 微妙な問題で個人差もあるとは思いますが 

人によっては
特に老人の場合は精神安定剤や睡眠薬は混乱をきたす場合がある、、との結論は得ました。





そして
本当に大変な人達には・・国はな~んにもしてくれない。。を知りました。。
元気な老人の為の介護保険制度でした・・・
介護施設で預かってくれる人は手の掛からない人です。全部に断られました。
昼夜逆転の伯母の日々
夜間が眠れないのに夜間の補助制度は全然ありませんでした。
痴呆がある場合は、何もしてくれない事に呆然としました。









      
     この件に関しては・・・語る言葉は・・山ほど・・・・・あります
by kimanba | 2012-11-25 08:11 | Comments(21)
Commented by whitelacenonyo at 2012-11-25 21:28
>介護で一番恐ろしい事は・・・期限が判らない
そうです!期限がわかれば人間、少々過酷な事でも頑張れるのですが
いつまでか解らないと、頑張りようもないですよね。
私の周りで現在介護をしている人達が異口同音に、期限がわからないから、、と自分がとてもいやな人間になっ自己嫌悪に陥る。と言います。

ことほど左様に介護というのは大変な事だと思います。
伯母さまが頃合いを見計らって旅立たれたのも
伯母さまのお身内から感謝の言葉が出たのも、kimanbaさんの心が通じたのだと思います。
お薬を断った事、そこまで思いついた知恵というのでしょうか ご立派です。
私は介護の経験はありませんが、国はこれからもっと多くなる介護の問題をどう考えているのでしょうか、、選挙もその辺を考えて選びたいと思います。




Commented by kimanba at 2012-11-26 06:01
whitelacenonyoさんのお友達の方々・・頭が下がります。
私の場合は
伯母を我が家に連れて来て半年という驚くべき短さだったのです。
さらにそのほとんどが 
リハビリに通うだけの何事もなく過ぎて行った日々でした。
再骨折後
病院での24時間付き添いの期間1ヶ月はありましたが
本当にTVや映画と同じような事があったのは
退院してからの1ヶ月だけだったのです。
少し前に私
「あまりに期間が短かったから介護したとは言えないのですが、、」
そんな書き方をしたと思いますが
日々格闘している方々には申し訳ない位の経験に過ぎません。

ただ whitelacenonyoさんも更に抜粋してくださったように
介護に関しては最初から期間の申し渡しがあった訳ではない分
それに直面したその時の[当事者の思い]は一緒ではあった、、
と思っています。
期間が短かった分の罰のように 
介護をしなかった場合の悔いとはまた別の悔いと痛みを抱えて
それは辛いと思ってみたり、その方が気が楽だと思ってみたり、
自分の気持ちなのに、「私にもよく解らない」なのです。
Commented by kimanba at 2012-11-26 06:17
ずっと続くと思っていたからこそ
どの問題にも真剣に取り組みましたから
期間は短くてもさまざまな問題点に直面しました。

専門外でしたが切実な問題だった薬・・先生との議論もありました。
ディサービスは介護とは全然別の分野だと思いました。
昼間少しでも起きて活動してもらって夜寝てくれたらと思って
ディサービスにお願いしてもどこも断られ
1件だけOKのトコロに私も一緒に行って驚きました。
元気な方々のサロンでありクラブ活動みたいでした。
当然伯母は「次はダメです」と言われました。
ああこんな風に介護保険料は使われているのだなと思いました。

選挙・・・・
政治家の人達の中に何人本当の実態を知っている人がいるかなです。
どんな人達に手助けが必要か?
動くから大変なのに 動けるからと伯母は介護認定1でした。
Commented by kinnnikumans at 2012-11-26 08:59
kimanba先生おはようございます。
先生、本当に本当に、、、
叔母さんと内容の濃い時間を過ごされたのですね。
介護の事はまだ経験がなく知らないのですが(恥)
昨年母の方と父の方の祖父を同じ年に亡くし、
色んな事を感じました。両親はそれ以上にだと思うのですが。
父方の祖父は脳梗塞がきっかけで、下半身が動かなくなって、
そこから肺の病気にかかって、どんどん痩せてしまって、
入院となったのですが、おじいちゃん最後まで脳がしっかりしていて、
病院でもこんなにいい患者さんはいないと言われるほど、
なんというか悟っていたのでしょうか。自分に対して何かしてくれる人に
いつもありがとうと、涙を浮かべながら言っていました。
おじいちゃんがボケていないので、お見舞いに行った時に
あまりの細さに「元気そうだね」って嘘でも言葉が出なくて、
4年生の娘くらいにおじいちゃんが縮んでしまっていて
本当にショックでした。でも、おじいちゃん本人が一番それを
つらく感じていたのではないかなと。入院から半年でした。
Commented by kinnnikumans at 2012-11-26 09:04
母方のおじいちゃんは老人ホームに入ったのですが、老衰と言う感じでした。
少しずつボケてきていました。おじいちゃんから最後にもらった
年賀状は達筆だったおじいちゃんの字がこれもまた
娘のような小学生のような字になっていて、
力がもうでないんだなぁとすごくすごく寂しくなったのですが、
私の事はまだ覚えていてくれているのかなぁと嬉しかったです。
幸せそうに眠りながら旅だったという感じで、
先生がおっしゃるように、出会いたくない自分に出会ってしまう、
そうだと思います。最初仕事をしながら祖父母を見ようとしていた
叔母がそうだったのです。もう顔の表情が変わっていました。
それほど毎日一緒にいると大変なんだろうなと感じました。
でも老人ホームに入ってからは、叔母がまた優しい表情に変わったので、
なんというか、精神的にもですが、本当に体力をすごく使いますよね。
それだけでもへとへとになるのに、そして看る自分も年を取っていて、
若い時ほど体力があるわけでもない中で、
これから成長していくんだと思うと頑張れるけれど、
悲しいけれどそうではないから・・・心が折れそうになりますよね、
ほんと国の対応、こうして聞くと残念ですね。
Commented by kinnnikumans at 2012-11-26 09:05
このタイプはこう、そんな風に簡単に分けられるものでは
なさそうなのになぁと感じました。
薬関係あるような気がします。こういう薬って眠れるのですが、
起きている時にまで無気力になったりします。
あ、今は全く大丈夫ですよ!!モリモリ!(^^)!
お年寄りだったら、先生のおっしゃるようにあり得ますよね。
先生がこんな風に自分の納得いく形で行動された事に、
また深く感動していました。
朝から長くなってすいませんでした(@@;) おちょぼ口。。。
Commented by yoko_mama at 2012-11-26 09:09
おはようございます!

いろいろなご経験をされてきたんですね。
kimanbaさんのいつも真剣に取り組む姿勢には頭が下がります。
伯母様もきっとしあわせに旅立たれたことでしょう。
じつは・・・実家の父がアルツハイマーにかかり昨年医師から告知されました。
幸いにも今はいい薬があるようで、進行はおさえられるらしいですが・・・
やはり一緒に暮らしてる母や兄夫婦、姪にはその進行度がわかるようで、昨年と比べると徐々に悪化してるようです。
主人の父も高齢ですので、いつ介護問題が降り掛かってくるかと最近はよく考えます。
介護って突然やってくるので心の準備を今しているところです。
Commented by kimanba at 2012-11-26 09:57
★kinnnikumansさん
何だか私らしくない話が続いての朝 おはようございます♪
私も今ちょうどkinnnikumansさんのトコロに行っていました。
互いが互いのトコロにいたなんてうれしいなぁです。

こんな事を書きましたが
ルンルンポワンポワンで夫とバカ話~・・・が
私の基本スタイルで私のほとんどはそれで出来てはいるのですよ。
ただ ところどころにチョンチョンと引っ掻き傷はあって
それをたまに書いたりしてしまう。。。なんでしょうね。
その1つの介護の話はとても難しい問題をたくさん孕んではいて
本格的に書こうかどうか迷った事柄でした。
やはり、、、、
深いトコロまではどうしても書けず中途半端な話にはなってしまいました。
日々のお気楽な暮らしの中で 
まるで私の歴史の中に埋もれたようになっているあの時期の事
私の知人の中には15年介護した人もいます。
Commented by kimanba at 2012-11-26 09:58
よく最近思うのですよ
伯母は身体は丈夫でしたから私も5年以上の介護は不思議ではなかったなぁと。
そして あんな日々が続いたら 
私は全くの別人になってしまっていたのではないか?と思います。
運命って、、ほんのちょっとの事でどうにでも変わるものですね。
あの後数年して 海外旅行をして
「こんな日が来るなんて。。」と信じられない気持ちでした。
別世界です。
毎日こうして暮らしている日々でも
あの世界であんな暮らしをしている人達がいる、、です。

kinnnikumansさんのお祖父さまは
ご自分らしい生をまっとうされたのですね。みんなに良い思い出を残して。
ご本人も周囲の方々もお辛かったでしょうが 
たとえ縮まれてたとしても≪外見でも何でもなく≫
心の在りドコロがとても幸せな晩年であられたと思えます ニコニコ
Commented by kimanba at 2012-11-26 09:58
あっ、、、薬・・やはりそうでしょう?
多分 精神を弛緩させるのだと思うのですよ。
毎晩いろいろな薬でその症状を実験してみましたが
症状の軽いものはあっても ほとんどがそうでした。

叔母さまの事 どんな日々を過ごされたか
>叔母がそうだったのです。もう顔の表情が変わっていました。
kinnnikumansさんが《出会いたくない自分に出会う》を
とても温かく受け止めて下さった事と
叔母さまにも温かい気持ちを持っていらっしゃる事
ありがたいなぁと思いました。
コメントが入れにくい話ばかりなのに
こんなに長々とおちょぼ口からお話くださって~笑
これにもありがとうございました~♪
Commented by kimanba at 2012-11-26 10:24
★yokoさん
あの2年前の訪問者の数にのけぞった驚きの朝と同じ思いをしながら
おはようございます~yokoさん♪

↑のこんな調子がいつもの私で
介護の事を書いても 
それはそれ!これはこれ!の姿勢に呆れないでくださいね。
だから、、、、、
今回こんな形の私のブログ記事に対してyokoさんが
お父さまの病気の事を書いてくださって申し訳ない気持ちでいっぱいです。
日進月歩の医学の世界アルツハイマーの研究は盛んだそうです。
だからお父さまが緩慢な形での進行で
お母さまやお兄さまご夫妻に見守られてのお幸せな環境・・
その上温かいyokoさんもいらっしゃるのですもの心丈夫ですよね。

心の準備・・・
これは私だけの特徴かも知れませんが
しない方が良い。。と思いますよ。
そんな時は『来る時は来る』のですから それまでは、、
何も考えず幸せに~! これが私の過ごし方です 笑
Commented at 2012-11-26 23:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kimanba at 2012-11-27 05:42
11-26 23:38の秘密さん わざわざありがとうございました♪
ひょっとしたら私の分もそうなのかも知れません。
最初の日の訪問者数にも驚きましたが 次の日は・・・
さらに勢いを増していたもので思わず本文に書いてしまいました。

いやもうホントにお恥ずかしい程短い期間でしたから
語る資格はないなぁとも思ってはいるのですよ。 
・・・と そう書きながらも
その短さに反する過激な内容ではあった為に
走り抜けるように一通りの経験はしてしまいました。
ただ だからこその悔い その短さ故の悔い
(言ってはいけない事も言ってしまったりのね)
ずっと続くと思っていたからこその諸々がやはりあって
介護が長ければ償還できる種類のものではないにしろ
↑のコメントにも書きましたように
長く看た方々とは違った鈍い痛みに苦しむ日はあります。
でも
こんな形での自分への罰があった方が《気が楽》という
妙な心境もあって もう私にもよく解らないのですよ。

そう!我が家もそれはあります。考えないようにしましょうね♪
Commented by mayumi-roma at 2012-11-27 19:06
kimanbaさんのこれまでの記事、興味深く拝見していたのですが、忙しさにかまけてなかなかコメントが出来ないでいました。
軽いノリでコメント出来るようなものではありませんから。
薬の処方は難しいと思います。
kimanbaさん、懸命な判断をされましたね。
九州の地元の友人のお母様が痴呆で大変な状態ですが、入院を受け入れてくれるところは、精神病院しかないそうです。
そして、強い薬を出して、病院側になるだけ負担が少ないようにするようです。
しかも、物凄くひどい環境で・・
結局、今は自宅でお父上が一人で介護されています。
友人は東京在住なので。
でも、痴呆の患者さんを見てくれる施設はイタリアにもないように思います。
皆さん、自己負担で人を雇って自宅介護をしています。
Commented by mayumi-roma at 2012-11-27 19:07
文字制限があったので、続きます。
私の父は、82歳ですが、6月に肺炎で入院した歳に、足腰が弱くなり歩けなくなりました。
今はリハビリしてツエを使って歩けるようになりましたけど。
もちろん、幸いにも身体も頭も健全です。
ツエ以外は、完全に自立した状態で、介護らしい介護も必要ないのですが、母はそれでも父を自宅に戻したくないんです。
もう娘たちの心労は大変なものですよ~
全く病院にいる必要がないのに、いまだに病院です。
母の気持ちは分かるけど、父がかわいそうで。
今のところ、かなり無理して、毎週、福岡の妹が帰っていますが、12月には、私が覚悟を決めて、父を自宅に戻し、面倒を見るつもりです。
といっても、介護というわけではありませんが、まぁ、好き勝手なことはせず、基本、父のそばについていてあげるということです。
もうね、今回の帰国はそれほどウキウキするものではないのですよ。
まぁ、それでも、きっと楽しみは見つけると思いますが・・


Commented by kimanba at 2012-11-28 06:24
mayumiさんこそがお父さまのためによくやっていらっしゃる☆
今回の帰国も昨年の度々の帰国も、、
普通は海外に暮らしていらっしゃる方はなかなかできない事です。
国内に住んでいても ここまではなかなかできないと思います。
介護に通う・・・は
時間的な事だけでなく
交通費その他の経済的な面も大きく圧し掛かって来ますからね。

最近の日本は主婦でも働いている人がほとんどですから
育児休暇のような介護休暇制度ができない限り難しいです。
男女共に郷里の親に心を残しながら、、になっていて
それはそれで辛いものがあるだろうなと
いずれにしても 
どんな形で晩年を過ごさせるかどんな形で晩年を過ごすか
残酷な期間を誰もが通らなければならないのでしょうね。
Commented by kimanba at 2012-11-28 06:24
書いている時はそれに集中してしまって
後で「ああそうだった。。しまった、、」と思う事も多く
今回も薬の件は・・
mayumiさんのご主人は専門も専門精神科医でしたよね。ハズカシイ
私は自分が薬を全然飲まないから知識もなくて
睡眠薬は純粋眠り薬だと思っていましたから
あれこれ調べて驚く事は多かったです。
病院も・・
最近は老人が増えた事で精神病院ではないのですが
そういう人達専門の病院もあって見学に行きました。
みんなが、、蚕さんのように寝かされている が印象でした。
自己負担に関しては・・
私の知人も2F全部を母親と付添婦さんに開放して
同じ人が泊まり込みで24時間世話をし続けています。

mayumiさんのお父さまはお幸せだわ。
ローマからこんなに頻繁にが嬉しいでしょうね。
何よりの親孝行ですね。お母さまもうれしいでしょうね。
mayumiさんだけでなく妹さんもよくやっていらっしゃる♪
Commented by kanafr at 2012-11-29 10:16
この前から気持ちが揺れて、なかなかコメントできませんでした。
>介護の一番残酷な事は・・・出会いたくない自分に出会ってしまうという事でした
そうです。最初の決心は何処へやら、日を追うごとに、出会いたくない自分、もしかしてこれが私の本性なのかもしれないと思った日々でした。

今は、いいお薬ができたのですね。
私が母を引きとった時には、そういう薬もなく周りに理解もありませんでした。
母がアルツだと日本から、市役所の方とご近所の方から連絡が入り、一時帰国しました。私が行く前に市の方から病院に連れて行かれ、検査を受けそう診断された訳ですが、私が行った事で再検査が始まり母に付き添いました。
検査後、CTスキャンによる脳の状態、簡単なテストの結果などをカウンセラーの方から報告を受けましたが、本当に優しさのかけらなどどこにもありませんでした。勿論、市役所の方もです。
カウンセラーの方が、横に母がいるのにもかかわらず私を説得するように「ほら、こんなに正常な状態じゃないのよ!わかる?」の言い方に猛烈に腹が立ち、言い返した為母がオタオタしてしまって...という事がありましたね。
Commented by kanafr at 2012-11-29 10:18
何回か病院にご一緒してくれた市役所の方も、何だか義務的でした。最後にお礼に伺った時に「実はねぇ、ここだけの話、僕、老人って大嫌いなんですよね」でした。そんな方が老人の世話をする係をやっている。そんな時代でした。
今まで、母の事で、決して綺麗事ばかりを書くつもりではありせんでしたが、亡くなってから、母が残してくれた大事な事にようやく気付いて書いたのが例の記事です。
あの事から、ずっと考えていました。
何もブログで書く事はない、私の心の中で詫び状は書いているんだという思いもありましたが、私の心の中にあった残酷な部分を書くことが、母を捨てた事への詫び状になるのではないかっていう気もしています。

そんな人の心の闇の部分など、読んで不快になるだけかもしれませんが、それ以上に母が残してくれた事が大きいので、その事を忘れないでいたいという気持ちもあるのです。
でもまだまだ気持ちが揺れていて、文字にする事ができないんですけどね。いつか..です。
Commented by kimanba at 2012-11-30 07:06
kanafrさん、、、、
万感の思いと共に読ませていただきました。
日本でのお役所との関わりも.....そんな事があったのですね。
《親との関わり》は 
上を向いてもキリなく下を向いてもキリなくなのだと思います。
羨ましくなる老後を家族に見守られながらもあれば
胸が詰まるような話も聴きます。

私から見たらkanafrさんは
わざわざパリまで呼び寄せて同居された事を偉いなぁと思うし
kanafrさんからしたら
そうやって褒められる事がまた
自分だけが良い子になっているようで赦せない なのだろうなと
私もそれに近い気持ちを持っていたから
本当のトコロはkanafrさんにしか解らない事なのに勝手に思ったり。。
Commented by kimanba at 2012-11-30 07:07
私はこの事に関してはね・・・
私だけの問題として 自分を褒めてやる時もあれば
(そうしなければ 心がもたない)
敢えて、、、、、、、、、、、、、自分を赦さない時もあります。
それはあくまでも自分の問題だからです。他人には何も言わせない。
朝は必ず洗面台に立ちますよね。
その時、、もう10年経つのに
あの時そこで私が伯母に言った言葉がよみがえります。。
ずっと抱えて行かなければならない思い出です。

kanafrさんの詫び状は・・・
個人的な問題に限った書き方ではないので
多くの人達にさまざまな問題を提起してくれたり学ばせて貰ったりです。
お母さまの在りようがまたご立派だなぁと思いました。
アルツハイマーででも犯されぬ《習慣》に近いお母さまの心の在りように
大きな感銘を受けました。
kanafrさんの考え方にもまた大きな感銘を受けました☆
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