生き方の手本になる人達が身近にいた幸運に感謝しています♪
いろいろ問題もあった
義母ではありましたが
私にとっての義母は
人間としても女性としてもまさに私のお手本ではありました
そして
義母ととても仲の良かった
夫の伯母(義母の兄嫁)もまた
私にとっては
《かくありたし》と目指した女性でした。
昨日_____
その伯母のお見送りをして来ました。
九十九歳でした。
90歳まで現役(歯科医)で頑張っていた伯母でした。
伯母には可愛がってもらっていた夫__
(夫が大学合格した時のお祝いは
夫だけでなく夫の親友も含めて3人で2泊3日の豪華京都旅行だったそうです)
夫は近しいがゆえの..
あのいつもの減らず口で
「伯母さん、、もう90だよ。手なんて震えているんじゃないかな?
ドリルも電源いらなかったりしてなぁ。患者さん勇気あるなぁ」____
なぁ~んて
もういつものタチの悪い冗談を言っては笑っていましたが
(ゴメンナサイゴメンナサイ)その事について夫の従兄が
喪主挨拶で触れていました。
患者さんに慕われていた母は__
先生 私達が死ぬまで死なないでね。
私達の歯の面倒は先生が最後まで診てくださいね。
そう言われて 最後の人を見送った90歳で引退しました。
母は_約束を守りました。
初めて知った事でした、、聞きながら私は大きな感慨に包まれていました
ああ そうだったのか。。
と、、だから仕事を続けていらっしゃったのかと。。
約束____だったのか。。と胸がいっぱいになりました。
伯母さんには不似合いの言葉なのですが 毅然とした伯母さん__
こんな言葉には眉をひそめられるでしょうが
カッコイイなぁ~♪と思いました!
歯科医の娘として育ち
ここからは時代が違うから理解し難いでしょうが
私の母の時代よりずっと昔の伯母の時代__
父の兄弟の奥さん達..誰も働いた事なかったそんな時代
母が結婚前に働いていた事をみんなが驚いたそうで、、のそんな時代
そんな母の時代のさらに15年も昔が伯母さんの時代
そんな時代に_かなりのお嬢さんだったのに
自分自らが
職業婦人になった事って大きな事だったようです。
夫の伯父も歯科医でしたが
その自分の夫の医院とは全然別なトコロに自分の歯科医院を持つ独立独歩の女性でした。
さらに 喪主挨拶そういう働く母だったから日常生活はすべてお手伝いさんだったけれども
毎日のお弁当だけは欠かさず母が作ってくれました。
焼き肉と卵焼きと奈良漬の組み合わせがよく登場しました。
これらの言葉だけでなく 葬儀全体も大変印象深く____
結婚式のような画像のスライドがまず流れました。。
生家や子供時代の家族写真。結婚式からの家族のさまざまなシーン
そして仕事中の画像
来し方がよく解かる。。伯母さんらしさに溢れたものでした。
そして次に 白ブラウス黒いロングスカートの方々が
ヴァイオリンやフルート等を抱えて入場し故人の好きだった曲を演奏。。
クラシックだと思ったら___
坂本九の『上を向いて歩こう』これも良かったです。
この後は
読経もあったのですが
最後のお別れと出棺までの間ずっとこの演奏が流れていました。
校医を長く務めた功績で宝珠褒章を受章
親戚が集まったそのお祝いの席で
「これを着て皇居に行ったのよ。kimanbaさんどう思われる?」と
その何とも言えない綺麗なピンク?桃色? ̄
とにかく綺麗で鮮やかな色で
あの年齢であんな色の紋付きの着物を選ばれるセンスに感心しましたが
それよりも
そんな風に私にファッションの感想を求めてくださったその事が!
私はとってもうれしかった~。。のです
(私やっぱりのです使うなぁ)
伯母と私とは ̄ ̄ ̄夫との結婚式で初めて会いました。
とっても綺麗な人で強い眼の光があって威厳があって_印象深い人でした。
自分に何かを持っていなければこの人からは黙殺される
そんなモノを感じさせる___そんなオーラがありました。
だから
普通ならば..
ちょっと苦手だと思う人もいるでしょうが
私は____その時
この人に認めて貰いたい と強く思いました。
とても魅力的な女性だったからです。↑に書いたような、、
そんな空気を醸す事を躊躇しない__毅然としたもの
言葉は悪いですが
傲慢な顔が堂々とできる?その姿勢に痺れました。