前回の記事を書きながら、.....
空中ブランコの事を考えていました。
決して順風満帆ではなかった娘の
《来し方》を考える度に感慨無量です。
いつも娘に言う事が
「ホント!いつもいつもヒヤヒヤさせてくれて。。
あなたの人生は_もうダメだ。_のギリギリのトコロでひょいとブランコが来るよね。」
怠け者だけれどシャカシャカした私とは違って
娘は____の~んびり!しているのですよ。娘時間。
良く言えば、マイペースで丁寧
悪く言えば、見ている方がイライラする位の時間概念の欠如?
例えば、博士号取得の時も・・・・・
博士号取得は学内だけでの判断では認められない点が大きな関門です。
海外の科学雑誌に掲載されて初めて対象になる。学内での選考の場を与えられます。
娘は
(謙遜ではなく!)能力としては同じ研究室の中でもほとんど一番下位に位置していたのに
他の優秀な人達がみんな博士号諦めて就職活動をして就職決まって行くのに
2つの事が1度には出来ないから就職活動もしないまま
だから
行く末も判らないまま___
「どうなるんだろうね。」と母娘で不安を抱えていたのは
暮れも押し迫った12月28日頃だったと思います。
折悪しく、
担当の教授は海外の学会に行っていて
(論文掲載連絡はまず教授にあり)ところが、
論文チェックが趣味(?)の友人
(以前の研究室で一緒だった)がいてくれて..その彼から
「掲載おめでとう」の連絡入って
そこからもうバタバタバタ、、で
__1月7日の学内選考に間に合ったという経緯でした。
就職先もないまま、卒業しちゃうか留年するかの瀬戸際でした。
空中ブランコは、
ブランコが振り切ったトコロ
(もう後は落ちるしかないまさにその時)に
新しいブランコが来てそこに移る。
私は
運命論者だから、こういう風に人生を捉えたりしてしまいます。
なかなか結婚のブランコがやって来ない娘には
「あなたの場合はどん底でいつもブランコが来るんだから
まだまだどん底じゃないんだろうね。」 と言っていますが、、、
.............................
遅いぞ!ブランコ
そうそう
なぜ前回の記事と
空中ブランコが繋がったかと言いますと
ちょっと、続きになってしまいますが
町医者として30年近く、、、と書きながら
看護師さんの奥さんと二人三脚で
連絡が入ればすぐ駆けつけるという汗だくでの取り組みの日々を観ながら
____________感慨深い気持ちになっていました。
東大医学部の出身なのですよね。
それがどうした_ではあるのですが。。。。
東大病院という医療の最前線で華々しく活躍。将来を嘱望された過去も持つ医師。
若くして自身が病に
その時にご自分の心と向き合われたり、出逢った患者の方々との会話の中から
(私などが想像できる範囲ではない事なのですが)
空中ブランコ
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天職とも言うべきこの道を選びとられた。。という事が大切なのだと思えます。
今回の京都へ移住した人も開業医と書きましたがやはり、東大医学部の出身です。
夫と一緒のサッカー部でしたが
この人は、
なんと! 同級生ではただひとり
高校3年生の秋までサッカー部辞めずに東大。しかも医学部合格ってかっこいい。
______すっぱり京都に移住に何だかとっても納得できるそんな人