お盆という風習・・・・JRの列車混雑や高速道路の渋滞状況の様子が
TVで毎年 映し出されるのが毎夏の
お約束 で、、、、
大変な思いをして お金も使って故郷に帰省する人達・・・・
お正月もそうですが
その風景・・故郷を大切にする気持ちが
何か嬉しい~です
お盆は・・・私にとっては
『精霊流し』 です
さだまさしの歌で有名になりました。
だから
長崎の風習だと思っていらっしゃる方も多いでしょうが
福岡では・・
『ショウロウ流し』 と呼んで 同じように受け継がれています
(ショウロウさんと言ったりもします)
お盆は・・親戚中が本家に集合しました
大宴会~ ・・・・・子供心に嬉しい想い出でした。。
『イガの葉』で包んだお餅
(柏餅とほとんど一緒です)・・・うちの方では
「お盆」の食べ物です。。
大量に蒸し器で蒸し上げて ご先祖様にお供えします。。 私達も食べます。。
(本家は暮れに餅つきもしていましたからお店のような大きな四角い蒸篭が3段ありました)、、
作らない家もありますから
近所に配ったり 知り合いの家に届けたりで 本家では
200個 を家で作っていました。。
・・・・福岡の夏は、、、活気があります!
祭りも夏です!
国語の時間に、、季語が出て・・・
祭りは→秋 に強い違和感を覚えました。。
私にとっての祭りは
夏!以外考えられません
・・・・生活の中から生まれる俳句
季語もその地方地方の風習の下に存在するものだと思います。
祭りを秋と設定してある事実・その単純さに驚きました。
送り火の役
お盆の最後の行事が・・・・
『ショウロウ流し』///////////////////
昔は・・
初盆 の家の
『ショウロウ流し』 は盛大でした
私が
中2の時
祖母の初盆 でした。
何ヶ月も前から、、大工さんに・・舟を注文します。。
実際の
伝馬船に近い大きさの
『ショウロウ船』 が出来上がってきました
その舟に、、、、、、、
お供え物(食べ物)満載、、花満載して、、小さな提灯で全体を飾り付けます
そして
家紋だけが入っている大きな真っ白な提灯を・・船頭と船尾に配します。。
遠くからでも どの家の
『ショウロウ船』か?が解かります・・・・
私達親族は・・チャーターした船に乗って大勢の見物客の見守る中、、、、、、
その
『ショウロウ船』を曳いて
まるで
花魁道中 のように川を遊覧して行きました。。
川沿いや、、各橋には鈴なりの人・人・人でした。
こぼれる程の見物客の見守る中、、大きな
大輪の花火を1発打ち上げて、、、
大きな歓声に包まれながら・・・灯油をかけてその舟を盛大に燃やし
(九州の人間はそれで血が騒ぎます!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・供物をあの世に届けます
(環境汚染への配慮0の時代でした)
昔は、、初盆の各家・・それぞれ趣向を凝らした舟作りをしていました。。
私は・・その祖母の初盆の時の他家の舟を、、今でも覚えています。。
未だに忘れられないのが、、、精巧に藁(わら)で編んで作られた舟でした。。
結構その家の舟も大きくて
赤い小さな提灯がたくさん付けられた
藁の船・・・・・・・味合いがありました。。
これ等は・・ムダと言えばムダな風習なのですが
昔は出し物として
派手に演出してみんなを楽しませ 家の権威を強調していたのだと思います。
初盆以外の家は、、舟ではないけど・・・・・
お供え物を入れた箱 を舟に見立てて・・
赤い小さな提灯を1つ乗せて流します。。
・・・・・・・・1コの小さな提灯を付けて流れて行くお供え物の箱・・・・・・・・・
たくさんの
『ドンブラコ』と光・・・・・・・・・・・・見応えがありました。。
現在は・・・そんな派手な初盆をする家も少なくなりました。。見物客もほとんどいません。
祖母の為に
盛大な『初盆舟』を出した
伯父の初盆・・・・・
(船をチャーターする事もしなくて済む)祖母の時の
1/4の大きさの舟を出しました
伯母の時は・・・・
私が
小さな舟を手作りしました。。
「だんだん寂しくなって、、ごめんねぇ」という気持ちでした..感無量でした。。
見物人がいてこそ頑張れる なんて私もまだまだ俗そのものです
今年も・・・ご先祖様の供養のために
15日にあの世に帰っていくご先祖様にお土産を持たせる気持ちで
いろいろな物を入れた箱が流れていました。
見栄とは無縁のショウロウ舟が流れていました。
小さなたくさんの
『ドンブラコ』と光 がユラユラ流れていました。。
私も・・・
水に浮きやすい発砲スチロールの大箱 に小さな提灯を乗せて
お供えした
スイカ・メロン・桃・巨峰・オレンジ・バナナ・無花果・野菜パック・お団子・落雁・花等を、、川に流しました。。
これがご先祖様への
私の毎年の務め だと思っています。。
それで終了! ・・・・・・・・・・・・・・・・
私の夏 が終わります。。。