私の座右の銘です。
人間万事塞翁が馬_が正しいそうなのですが
感覚的に私は
人生万事塞翁が馬・・・こう使いたくてこの方がぴったり来て
以前もこれに関して書いた覚えがあります。
以下これで
泣く泣く大阪の研究所に貰われて行った娘
「B先生を尊敬するわぁ。結構私年配の先生方には人気でねよくして戴くのだけれど
あの先生は公正に能力で判断なさって、他の生徒達の方が教室には必要だと思われたのよ」
クールな娘は自分への評価も適切です。
京都は娘憧れの街でした。
楚々と見える娘ですが結構ミーハーでもあって都会が好き~。
なのに娘が貰われて行った先は万博公園の近くの街の光はないトコロ
地方都市ながら我が家も街の光真っ只中にあるもので初めての夜の暗さを体験した日々。
環境だけでなくスケジュールも大変な日々でもあったようで
修士課程での必修授業それは大学で受けるしかなく週に1,2回は京都まで通う日々
(寝ぼすけ娘は早起きして、この時京都駅からバスで大学まででバスの動かなさに辟易して
次に京都帰って来て住んだ家の真ん前にバス停あったにも関わらず
一切バスは使わず私にも使わせず。。余程懲りたようでした)
ただ英語だけは、
論文発表も学会でも質疑応答は英語で行われるから
大学でも大学の英語の先生ではなく語学学校から講師の先生が来て英語特訓をみんな受けるそうですが
これだけは研究所まで語学学校から先生が派遣されて特訓してくださったそうです。
大学ならば大人数ですが研究所では学生は3人だけ。まるで個人レッスンに等しい授業。
英語頑張る人なら「わあ ラッキー」ですが
娘、他の学生に
「先生の目の前で居眠りできるって、、凄いなぁと僕感心しました。」と言われる始末。
先生に対してこんな失礼な事なく(私も教えている立場でよ~く!解ります。とんでもない!)なのですが
居眠りは娘の専売特許で
根本は勉強嫌いですからいつも半分夢うつつなのですよ
(これが娘が大きく伸びきれなかった原因の1つだと思います)
先日帰省していた娘が
「私、、、字が嫌いなのだと判ったわ」と言ったのには心底びっくり!
と言うのも、同僚から「僕からのメールKimanba娘さん読んでいないでしょう」と言われ
「私は長いメールは苦手で」と言って相手にびっくりされたとか。
だから、私のブログなんて娘にはとんでもないしろもののようで
字ばっかりでかったるいから読まないとはいつも言ってはいたのですが
研究者で字が嫌いって、、、、
絶句
私は子供の頃から活字中毒に等しく とにかく字が書いてあるものなら何でもいい!
夫もそうで。。。___________この娘、、誰の子?
こんな落ちこぼれ劣等生は、でもあの研究所に行ったからこそ研究者として生き残れたのでした。
研究所内の教授の研究室は小さくて
教授と準教授とテクニシャン(研究補助の方)2人と秘書さんだけの小さな研究室。
そこに学生は娘だけという構成でこじんまりして家族のようで、
この時のテクニシャンの方々とは今でも大の仲良しで定期的に神戸や京都で3人で集まるそうです。
研究所内の他の研究室の方々にも当時から今に掛けてお世話になっていて
大学に戻って来られた方々多いから、それこそ戦友のような関係なのだそうです。
とっても良き関係が築けた研究所だったようです。
でもこの準教授の先生がアメリカの科学誌が選んだ『日本の科学者10人』に掲載された先生で
この先生が2年間付きっ切りで指導してくださったのです。
この先生のお蔭で
娘には出来すぎの論文が完成した、、という経緯が。
ほとんどこの先生が関与して、
英語の苦手な娘に代わって教授が翻訳してくださってもあって完成した論文
みなさんのお蔭なくしては絶対なかった!現在の娘の立場
1年位してもう1人の個性ある研究者が加わって
少人数での和気藹々とした楽しい時間(娘大好きなのんびりした時間)が流れた期間。
そして、今回の転職話は_____
この後から加わった研究者・・この方が偉くなられて呼び寄せてくださった。。
という経緯があるのですよ。
泣く泣くだった娘___
でも、あの泣く泣くがたくさんのモノをもたらしてくれたのだなぁと
人生万事塞翁が馬を、やっぱりねぇとしみじみ噛み締めています。